「私のファーストキャリア」

最終更新日 

2011-05-13

  それは19歳の時。今でいう「就活」中は未成年ということもあり、仕事を決めるにも親の承諾が必要な年代でもありました。やりたい仕事を伝えてもなかなかウンと言われず、ただダメダメ!の一言で終わり。その時はその理由など知る由もなく、あとあとわかったことですが子供の一人くらいは手元に置きたかったようです。私の中では「早くこの家から出たい!」という思いだけで、仕事の内容は二の次でした。そのため、卒業してもなかなか仕事が決まらず、一人不安な日々を送ることになってしまいました。4月に入っても進展がなく、内心焦っていました。あの時代に就職支援機関があったら真っ先に飛び込んで、自分の思いを聴いていただいたに違いありません。

  そんな時、声をかけて下さったのが担任の先生でした。卒業した生徒にもかかわらず、なぜか気にかけて下さり、「私の夫が勤めている高校で事務員を募集していますが、どうですか?」との電話をいただきました。両親は、私の気持ちも聞かず快諾し、内心、仕事が決まった嬉しさと当分この家からの巣立ちはできないな、と複雑な思いで納得した記憶があります。
  そんなこんなで初出勤の日を迎えました。緊張もさることながら、「これから私に何ができるだろうか?」と考え、経験も資格もない、ただ先生つながりで雇われた身(今ならば、立派な人脈力ではないか)。ならば、「できることから始めよう」と考え3つの目標を掲げました。
  1 誰よりも早く出勤し、掃除をしよう
  2 先生の名前と顔を一か月で覚えよう
  3 校歌を覚えよう
  こうしてみると、できることのなんと少ないこと。正直これくらいしか見当たらなかったのです。
  当初はできることの限界もありましたが、周りとの関係を築くことで序々に仕事も増え、少しずつ信頼される存在になりました。また、先生や生徒さんとかかわり合う中で、「この仕事は自分の適職では?」と思うようになりました。

  ここで一つのエピソードを紹介しましょう。
  仕事にも少し慣れたある日、事務長に叱られました。これまで父から幾度となく叱られ、慣れていたはずなのに、その時は上司から叱られたことが堪えました。しかしそこは社会人。事務長の前ではグッと堪えた!まではよかったのですが、宿直室に駆け込みワンワン泣いてしまったのです。
  今思えば、泣くほどのことでもなく、叱られたのでもなく、注意ぐらいだったのでしょう。ただ、事務長の叱り顔があまりにも怖かっただけだったのかもしれません。泣き顔や恥ずかしさでいっぱいいっぱいだった私は、出るに出ていけず途方に暮れていました。そんな時、同僚が様子を見に来てくれ、無事、仕事に戻ることができたのです。
  このことは、社会人としてあってはならない行動(職場放棄)、感情のコントロールができなかった(泣く)、そして同僚とのかかわり(絆)これらを学ぶ大切な出来事であったことは言うまでもありません。

  こうして事務員として実績を積む一方、私にはどうしても叶えたい目標がもう一つありました。「自立」という名の転職です。転職にあたり、私のファーストキャリアがヒントをくれました。
  仕事をする上で、「人の役に立ちたい」「人と関わる仕事がしたい」という思いは変わらず、そしてその環境の中で働いたことで、何の迷いもなく公務員になろうと決心しました。
  そして21歳の時、念願だった公務員と実家からの自立を同時に叶えることができたのです。